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『聖訓』

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今般、当家に代々伝わって来た“家訓”ともいえる『聖訓』について、知己で古文書調査を専門としている方に解読と翻刻を依頼した結果、以下のような記述内容であることが判明しました。

尚、文案は当店の初代主人であった松屋太兵衛-隠居名は麩屋太郎兵衛-(1782-1856)によるものと思われ、揮毫は“梅泉山人”を別号とした京都の絵師、白井華陽(c.1780-1836)によるものです。

【原文ママ】
     聖  訓
一汝能事務盤其細目尓至る迄
 精密に檢査せ与
一凡て敏捷尓動く遍し
一充分考慮を廻ら寿遍し  而し
 て成案を得たる上盤猶豫な
 具斷行勢与
一手強く困難に耐ゆること越
 要須
一人生競爭場裡尓於て須羅く
 勇敢なる遍し
一神聖那るもの遠して汝能潔
 白を保川遍し
一業務尓於て絶對嘘言阿るこ
 登勿礼
一無用の交際を為須事勿禮
一汝能人物を實際以上に装ふ
 遍可ら寿
一負債盤迅速尓始末須遍し
一強き酒を避け与 身を失ふと知礼
一汝能事盤汝の時越用い与
一何人尓應接するも叮嚀那類
 べし
一僥倖を當尓勢須確實なる事ニ當れ
一進む遍支時は宣しく大膽那
 礼
一斯くして勉免て怠ら左礼者
 必寿汝大成須遍し
     梅泉山人書

【現代字書下し】
     聖  訓
一汝の事務は其細目に至る迄
 精密に検査せよ
一凡て敏捷に動くべし
一充分考慮を廻らすべし 而し
 て成案を得たる上は猶予な
 く断行せよ
一手強く困難に耐ゆることを
 要す
一人生競争場裡に於て須らく
 勇敢なるべし
一神聖なるものをして汝の潔
 白を保つべし
一業務に於て絶対嘘言あるこ
 と勿れ
一無用の交際を為す事勿れ
一汝の人物を実際以上に装ふ
 べからず
一負債は迅速に始末すべし
一強き酒を避けよ 身を失ふと知れ
一汝の事は汝の時を用いよ
一何人に応接するも丁寧なる
 べし
一僥倖を当(て)にせず確実なる事に当れ
一進むべき時は宣しく大胆な
 れ
一斯くして勉めて怠らざれば
 必ず汝大成すべし
    梅泉山人書


長年に亘り、額装で生家の鴨居に掛けられていたものの、近年になって傷みが目立って来たので、五年程前に巻子に改めました。
# by KYO-FU-TA | 2014-11-26 15:30 | 歴史と由緒
麩屋がない麩屋町と白山信仰_b0072892_16253339.jpg
京の街を南北に走る道の一つに、御幸町通と富小路通に挟まれた麩屋町通-丸太町通~五条通間-があります。
http://www.mutsunohana.net/miyako/oji-koji/tomino-koji.htm?01keepThis=true&TB_iframe=true&height=400&width=800
元来は平安京の左京を南北に走る“富小路”でしたが、天正十八(1590)年の豊臣秀吉による京都大改造の際に、西側に新たに開通した道にその名を譲り、押小路と三条坊門小路-現在の御池通-の間に所在する白山神社にちなみ、“白山通”と呼ばれるようになりました。

さて、“麩屋町”の名の由来については、貞享ニ(1685)年刊行の『京羽二重』に、「白山通:昔日此筋尓(豆?)腐麩を賣る者多かりし故尓今にふや町と云」と記されますが、同書の別の記載からは、当時既にこの道筋に麩屋が存在しなかったことが知れ、それから約80年後の宝暦十二(1762)年刊行の『京町鑑』には、「麩屋町通:白山通トモ云-此通むかしハ麩商賣の者多くありし故町筋の號と須-今も三条角尓麩屋あり」と僅かに一軒の麩屋の存在が記されるなど、通り名がなかなか一定しなかった様子が窺えます。

ちなみに上掲の図は、宝永五(1708)年成立の『都すゞめ案内者』に掲載された、寺町通と白山通の図で、寺町通には経本屋の店頭が、白山通の“ふ屋”の部分には、店頭での「生取り(グルテン成分抽出)」作業と製品販売の様子が描かれています。

ここで注目されるのは、麩屋町通に麩屋が軒を連ねていたのは、『京羽二重』や『京町鑑』といった地誌類が執筆された時点で、既に“昔日”もしくは“むかし”の話であったという記述です。現在では丸太町から五条に至る麩屋町通には、一軒の麩屋もありません。

では、この道筋の通り名になるくらいに麩屋が集中する状況が、何故起こったのでしょうか?

実は、もう一つの通り名の由来となった白山神社に、その謎を解く鍵があるようです。

この神社が創建された由来や来歴については下記に詳しく説明されています。
http://everkyoto.web.fc2.com/report1085.html
http://www.shirayama.or.jp/hakusan/yashiro/y105.html
社伝による創建年代とされる治承元(1177)年頃といえば、様々な職能集団が“供御人”として編成される時期にあたります。それらの技能集団が各々の職能神の許に紐帯を強化した時代背景も鑑みれば、この白山神社も、何らかの職能集団の崇敬社として分祀されたように思えるのです。

さて、その白山信仰の担い手となるのは、白山神社の主祭神である菊理媛(ククリヒメ)命の神名が、「ククル→泳(くぐ)る→浸染」や「ククル→括る→纐纈染」、あるいは「菊→菊綴」など、古来の染色技術と関連付けられることから、染色技能集団であった可能性が高いと考えます。

平安期以来、道沿いに“富小路川”という川筋が流れ、豊富な地下水源にも恵まれたこの道筋は、水を大量に使用する染色業者が集住するのに恰好の地であった上、染色の必需品である澱粉糊-小麦粉からグルテンを抽出した残り-を生産する工程で水を多用する麩屋にとっても、営業に好適な土地柄であったと思われます。

平安後期以降に染色業者がその職能神を奉じて集住した道筋に、その需要に対応する麩屋-糊屋と兼業-が、食材としての麩(麪筋)が普及し始める織豊時代頃-16世紀後半-に集まって来たと考えられますが、後に何らかの事情で染色業者と一緒に他所へ移転し、その名のみが通り名に残った時期に上記の地誌類が著されたのではないかと考えます。

その移転の理由については、下記のような事情が想定されます。
①染洗いや麪筋(グルテン)抽出に伴う工業排水問題
②川筋の変更や埋立て
③地下水源の枯渇
③については、鴨川水系の伏流水域でもあり、現在も地下水を汲み上げて使用している業者が存在する以上、可能性は低そうです。
②については、川筋の消失年代を確かめ得る資料が余りにも乏しく、現段階では保留します。
①については、堀川通の例ではありますが、江戸時代には二条城以北での友禅流しが、城の前の堀川を汚水が流れるという理由で禁止されていたこと、麩屋町通近辺が洛中の人家密集地であったことに加え、職能集団の後ろ盾となっていた権門が勢力を失った社会情勢などから、現時点では最も可能性が高いように思えます。

ちなみに、私見によれば、染色業者と麩屋の移転地は、水源豊富で当時は人家もさして多くはなかった三条堀川以西、とりわけ四条大宮から壬生郷近辺ではなかったかと思います。明治時代の資料ではこの地域に麩屋や染色業が多く見られること、筆者の幼時の頃でも、友禅などの京染を営む家が当該区域内に多かった記憶などからも、そのように考え得るわけです。
# by KYO-FU-TA | 2014-09-25 10:41 | 歴史と由緒

“麩(ふ)”の最古の用例

“麩(ふ)”の最古の用例_b0072892_15464992.jpg
延長五(927)年完成の『延喜式』に見られる“麩”が、麪筋(グルテン)ではなく麩(ふすま)を意味することから、“麩(ふ)”の最古の用例は、やはり中世法隆寺の日記文書『斑鳩嘉元記』に残る正平七(1352)年壬辰五月十日条、「三肴立毛、タカンナ(篁=筍)・ウトム(饂飩)・フ(麩)・サウメン(素麵)・一折敷・数六・粽・ムキ(麦)粽一杯・アメ(飴)一杯・ワリコ(破り籠)・ヒワ(枇杷)一フサ・白瓜少々・ハイ(盃)少々。」という記述に落ち着くようです。

これに次ぐ記録としては、それから一世紀近く降る文安元(1444)年に成立した、『下学集』という辞書の「飮食門第十二」に見られる“麩(フ)”という記述となります。この辞書を「いろは」順に再編した『饅頭屋本節用集』という辞書にも同様の記述が見られるようですが、語義についての解説を欠いている模様です。

麪筋(グルテン)の麩(ふ)についての語義解説を含む記述は、更に二世紀半ほど降る元禄十(1697)年刊行の『本朝食鑑』が最古の史料となりますが、それに先立つ貞享三(1686)年刊行の、黒川道祐著になる山城国の地誌にして、京都案内の書でもある『雍州府志』の「土産門巻六」に、“京麩”の語が見られるのも注目されます。
# by KYO-FU-TA | 2014-09-21 12:32 | 歴史と由緒
『延喜式』に見られる“麩”_b0072892_1541984.jpg
検索を掛けるとヒットしましたが、
http://www.kogakkan-u.ac.jp/http/engishiki/index.php?query=%F3%CF&submit=%B8%A1%BA%F7
前後の文脈から考えても、これは“麩(ふすま)”を指すように思われます。

これによって『延喜式』が編纂された10世紀前半の時点では、「麪筋(グルテン)の麩(ふ)」は、未だ日本に知られていなかった事実が判明します。
# by KYO-FU-TA | 2014-09-20 19:22 | 歴史と由緒

公式webサイト開設

# by KYO-FU-TA | 2012-02-13 15:38

創業二百有余年。京麩の老舗、「麩太」当主、八代 青木太兵衛による「麩」を巡る徒然随想。http://futa.co.jp/


by KYO-FU-TA